奇跡講座と日々の気づき

奇跡講座の実践と日常の気づきをシェアしていきます。

仕事を転々として学んだレッスン

体調のことなどいろいろあって、ここ1年半ぐらいで何度も職場が変わって来た、、、

 

  

そして、その度に研修を受け新しい人間関係を築いていく。

 

 

 このような体験から、

 

 

 目に映る全てのものは、実在しない罪を、あると信じて外に投影し続けているに過ぎない、

 

 

 というコースの概念を、とてもリアルに体感している。

 

 

 どの職場に行っても、そこで働く人たちのキャラクターの分布というかパターンがほぼ全く同じなのである。

 

 

 

 

 親分肌でぐいぐい人を巻き込む人

 

そういう人について行く人

 

えらそうで、ちょっとイラッとする人

 

ただ中立的な人

 

優しくて面倒見のいい人

 

とても内向的であまり人と接しない人

 

 

などなど

 

 

 

自分は恐らく、いつも比較的中立的なポジションにいる気がする。

 

 

 僕はある程度人と合わせられるけれど、

 

 

最近は濃い繋がりに対しすごく疲れを感じるので、

 

 

あまり深く人とは関わりたくない。

 

 

一人でいる方が気楽だ

 

 

 と常に思っていたが、

 

 

何人かがグループになって親しくしていて、

 

 

そこになじめないと、

 

 

 疎外感や、嫌われていないだろうか?

 

 

 と、いう思いがすごく根強いことに気付いた。

 

 

 

 

 

やはり、自分の中に存在し得ない『罪』がある、と未だに強烈に信じているのだ

 

 

つまり分離を強く信じており、

 

 

自分の中を断片化した様々な形態を出会う人物に投影している

 

 

だから、どこに行こうが、必ず

 

 

先ほどのような様々なキャラクターの人たちに出会う事になる。

 

 

 

 

それらは全て赦しの機会であり、差し出されているレッスンなんですね。

 

 

 

本当にこれらはただの間違いであり、それを受け入れ聖霊に依頼すれば、

 

 

必ず取り消しはなされる。

 

 

未だに形の上でのいい人間関係を求めようという動機が多少あるようだ。

 

 

 

 

 しかし自分は本当にそのように『制限された』形として、兄弟を認識したいのだろうか?

 

 

 いや、そこには本当の平安はない

 

 

 

最近ますます、真の平安を求める意欲が強まって来ている

 

 

 

 

 

 奇跡講座のワークブック(中央アート出版)に次のような言葉がある

 

 

 

 

私が見たいのはこれではない。

 

私は、自分と一つである兄弟達を信頼する。

 

(W-pI.181.6:4-5)

 

 

 

今の自分にとって、ともて大切なレッスンだと感じる。

 

 

日々どの瞬間も、聖霊の導きに耳を傾けていきたい。