愛であったと気付く
連日の猛暑が続いている。
また体調を崩した。
猛暑のせいにしているが、肉体に対する深い信念があるようだ。
なかなか安定して仕事ができない。
罪の意識に苛まれる。
そかから職場の上司や家族から攻撃されているという妄想が始まる。
防衛しなくてはならない。
防衛から殺意に変わる。
殺意があると信じている。
そこで、殺意が実在するだろうか、と聖霊に尋ねてみる。
すると、それは狂気であってあり得ない、と返って来る。
正気の心で眺めれば、職場の上司も家族も本当に優しい。
こんなに罪深い自分に対し、どうしてこれほどまでに優しいのか、と思う。
これが愛なのだろうか。
まだ本当の愛がわからない。
それでもそこに確かに愛があることに少しずつ気付き始めている。
涙が込み上げそうでになる。
毎日の娘や元嫁、職場の人たちとのやりとりが、罪ではなく愛に気付くためなのだ
日々のいらだち、憂鬱さ、後ろめたさ、全てを聖霊と一緒に眺める
そうすれば、関わる人全てが愛であったと気付く
もっともっと本当の愛を僕は知りたい