Advanced course in miracres!!
どれだけ恐れに投資しているのだろう
気がつけば1日の大半を肉体を守るためのあらゆる思考に気を散らしている
家計のやりくり
それと関連した仕事への本格的復帰についての葛藤
一向に回復しない肩、腕の痛み
よくありがちなこれらの心配に多くの時間、思考が支配されている
それでも、少し前までは、いわゆる現実創造のようなことに再び意識が向かっていたのが、改めてそのような無益な旅を長引かせたくはない、という想いが強くなって来ている
なので、自我に深く囚われている事に気がついた時には、聖霊に委ねるとともに、最近はは再び意識的にyou tubeでデイヴィッドの動画や、Yumiko Emaさんのコース朗読の動画などを見ることにしている
今の自分は、これらの動画によって、すぐさま中心に戻りマインドが静かになる
そうすることで、よりリラックスして聖霊に思考を明け渡す事ができる
さっき言ったように、一時期現実創造の方向に思考が傾いてた時は、デイヴィッドの動画を見る気がしなかった
ちらっと見ては、何かとあら探しをしてはネガティブな突込みを入れ、拒絶する
そしてイエスに献身している兄弟達の言動でさえ、いちいち疑いの角度から見るということをしていた
しかし、改めて『真理を幻想の中に持ち込む』ことの無意味さに気付いてからは、捉える角度が180度転換する
ここ数日はデイヴィッドの動画が、もうこれでもか、というぐらい心にしみこんで来る
例えば下記の動画のある箇所(1:30:43 〜1:30:56)でデイヴィッドは、以下のように言ってている
Awakening Is a Matter of Desire - David Hoffmeister ACIM
『The curriculum I'm teacing is like advanced,advanced,advanced, advanced course in miracles!
This stuff is, this is way beyond course groupes,way beyond course conferences,way beyond most retreats.』
『私が教えるカリキュラムは、(何よりも)ものすごく、ものすごく、ものすご,ものすごく先に進んだ(上級の?)コースです。
世界中のどんなコースグループ、どんなコースカンファレンス、ほとんどのリトリートなどを遥かに超えた要素があります。』
(訳が適切かどうかわかりませんが、こんなニュアンスかな。英語のみの動画ですが、さすがに他の箇所の翻訳まではできていませんが、気が向いたら他の部分も訳せたらと、、、あ、今見たら英語字幕がついたようですね)
そういえば、コースティーチャーののりちゃんも、デイヴィッドたちのコミュニティーの妥協ない、ガチの学びはマジでヤバい、的なことをよく言っていた
一時期あらゆことに疑いや抵抗が出て来た時は、このことさえ、むしろものすごく否定的に感じた
つまりこのコミュニティーは特に妥協がないとか、本気だとか、そういうこと自体が自我の特別性じゃないのか?分離を強化しているのではないか?と、思ったりもした
しかし、昨日この動画を見た時は、さきほどの引用した部分を聴いた時に、何か強烈にみぞおち辺りからこみ上げて来て、そして泣きじゃくってしまったのだ
どれほどイエスに献身し、Wayshowerとし神への道を先に歩んでくれているのだろう、という深い感謝の想いと、自分がこれほどまでに抵抗していた神への道を進むことに恐れる必要はないんだと、という一種の強烈な開放感があったように思う
また、テキストの至る所でイエスは、自分に献身し協力してくれる兄弟が必要だ、という呼びかけを何度もしている。
改めてイエスの声に耳を傾けることに歓びを感じるようになってきた
本当に『私』は退いて、より一層イエスに委ねていけるようになりたいと思う
まだまだこれからだが、その意欲は再び強くなって来ている