奇跡講座と日々の気づき

奇跡講座の実践と日常の気づきをシェアしていきます。

奇跡講座を学び始めると状況は悪化するのか?

奇跡講座を『本気で』学び始めると、一見この幻想レベルにおいて、今までより状況が悪化していくように思えることが多々あると言われています。

  

僕もこのブログで書いている通り、そのようなことを実際に体験してきました。

 

勿論、日常のほんの些細な出来事を赦しながら少しずつ目覚めていく事はできます。

 

 

 

コースでイエスは、『奇跡に難易度の差はない』と言っていますね。

 

6年ほど前コースを学び始めた初期の頃は、そのような概念を『好んで』意識していたように思います。

 

ですから、必ずしも幻想世界でさほど大きな葛藤を体験することなく幸せな夢を見ながら、静かに贖罪を受け容れていき、キリストとして目覚められるのだ、と。

 

 

確かにこのことは事実でしょうし、不可能な事ではないのでしょう。

 

 

しかし、何年も経って最近の学習グループでの学びの中でも、

  

『やはり本気で目覚めることを選択し、赦しを実践していくと、どうしても非常に大きな困難や葛藤を体験せざるを得なくなる』(大半の人がそのような体験をするというニュアンス)のことがよく言われていました。

 

 

自分や兄弟達の体験を見ていても、これは確かにあるあるだな、と最近は特に感じます。

 

 

ただ最近までは、『必ずしもそのようことを体験する必要もない』、という概念との葛藤があり、少し釈然としない感覚もどこかにありました。

 

 

 

しかし、ワプニク博士の『奇跡の原理』の中の『原理47』を読んでいて、改めて腑に落ちました。

 

 

 

※原理47

 

『奇跡は時間の必要性を減らす学習手段である。それは通常の時間の法則からはみ出した特異な時間枠を確立する。この意味において、奇跡には時間がない』

 

 

 

 要はこの『時間を減らす(省く)』という概念がキーになります。

 

 

 冒頭に、『本気で』学び始めると、と書きましたが、これは分かりやすく言うと、

 

 

『もうこの自我の幻想世界は懲り懲りで、大幅に時間を短縮して早く目覚めたい』

 

 

聖霊にお願いした、ということですね。

 

 

そして聖霊はそのリクエストを真に受けたのです(笑)

 

 

 だから聖霊は、時間を短縮するために通常の時間枠の法則を崩壊させなくてはなりません。

 

 

 この視点から、幻想世界でより困難な状況体験する、ということを自分なりに考えてみました。

 

 

 

要するにビッグバンから始まり、永遠とも思える時間枠の中で、おびただしい量の罪悪感というものを人類は体験してきたわけす。

 

 

 人類と言っても、真理から言えば、深い眠りに入って悪夢を見ている一なる神の子の心の投影なわけです。

 

 

で、幻想世界の中で比較的穏やかな体験を通して、赦しを実践していっても目覚めには近づいていくわけですが、これほどとてつもない罪悪感の全てを赦すためには、これまた永遠と思えるほどの時間がかかってしまうのでしょう。

 

 

 だから、リクエストを受けた聖霊は、一気にその赦しのレッスンを学ばせるために、ある程度ドラスティックな学びが必要なのだということだと思います。

 

 

 これまでの人生で体験した事のないような問題が次々に起こることで、他に何か違った物の見方があるはずだ、と立ち止まり、そして真摯に赦しを実践していく意欲になるのだと思います。

 

 

 穏やかなレッスンでは、どうしてもその心地よい現実に微妙だけれど執着するという、自我の罠が入り込みやすくなるんですよね。

 

 

 ということで、時間を短縮するという過程において、非常に難しく辛い状況を通過していく、ということが往々にして起こりうるということになるのでしょう。

 

 

 

 学びの準備がまだ出来ていない人、つまりまだ自我を温存させておき本気で目覚めたいと思っていない人にとっては、今述べた事は『恐れ』になってしまいますね。

 

 

 しかし僕の体験から言うと、やはり『本気度』が増していくにつれ、この幻想世界で非常に辛い状況を体験する事を段々恐れなくなっていきます。

 

 

 むしろ、間違いなく贖罪は進んでおり、目覚めに近づいているのだと以前より確信が持てるようになってきました。

 

 

 ただ、未だに目の前の状況に対して心折れそうになる瞬間はありますが、それでもそれこそが聖霊にもっと全面的に委ねる機会なのだ、と思って日々実践していくことができます。

 

 

 まあ、どこまでいっても幻想は幻想ですから、シリアスにならずに赦して行きたいものですね。